2012年6月同志社女子中学校 と 高等学校の朝の礼拝にて、お話をさせていただきました。
その時の原稿を掲載いたします。生徒さんたち、両日とも、非常に静かに耳を傾けて下さって、とてもうれしく思いました。ありがとうございました。
<奨励題>「すみれ ゆり うめ そして・・・」
<聖 書>「コヘレトの言葉 5章 1節」
焦って口を開き、心せいて 神の前に言葉を出そうとするな。
神は天にいまし、あなたは地上にいる。
言葉数を少なくせよ。
おはようございます。古橋 悦子と申します。
今日のお話の題名ですが、実は、これはクイズです。すみれ ゆり うめ あともう一つの花の名前が入ります。ヒントは「同志社 花の歌」です。どうぞクイズの答えでも探しながらリラックスして聞いて下さい。
※「同志社花の歌」は、同志社女子中高の校歌
私は「京都の聞き書き絵本やさん」という名前で、自分史や、聞き書き絵本を作る仕事をしています。「自分史」はお分かりでしょうけれど、「聞き書き絵本」とは何なのか、ここで一冊、「にいさん おおきに」という私が作った聞き書き絵本の冒頭だけ読みます。昭和の初めの京都の話です。少し、聞いて下さい。
にいさん おおきに
私のにいさんは、電車がほんまに好きやった。
にいさんはとことこ歩いて、よう一人で、市電を見に行ってはった。
にいさんは、線路の上でじっと電車を見たはることもあって、運転手さんが、電車をとめて、降りてきて、よっこいしょ、とわきにどかしてあげはったよ。
気のいい、運転手さんやったら、にいさんを電車の前のあみのところに、とこん、とすわらせて、そのまま走らせてはった。
にいさん、にこにこして、えらいごきげんやった。
にいさんのなまえは、「なす ふみお」
近所のひとに、「なすさんのあほう」ってよばれてはった。
でも、いじわるやないの。
「なすさんのあほうは、ほんまに、ほとけさんみたいや」って、みんなゆうたはった。
みんなに好かれてはったんや。
ここまでにしておきます。この絵本は、小さい頃の障害で、頭の中が子どものまま、とまってしまった「兄さん」を主人公にした物語です。歳を取り、寝たきりになっても愛らしい兄さんを、ずーっと子どものままの姿で描きました。
この絵本は、Kさんという83歳の女性の自分史作りの中で、生まれました。Kさんは、自分の歴史を語りながら、ポツリと、「一番言いたいのは、にいさんのことやな」とおっしゃいました。障害のあるお兄さんの一生をまかされたKさんは、共に年をとりながら、先に自分が病気になり、考えた末、由緒ある家をたたみ、二人一緒に老人施設に入所する決断をされました。絵本の後書きに、Kさんの思いやご苦労を綴りました。手作りで簡単に閉じただけの絵本ですが、施設の職員さんはじめ、多くの人が読み、反響がKさんに届きました。Kさんはとてもよろこんで下さいました。聞き書き絵本とは、こういう本です。
このように、病気、障害や高齢、認知症などのために、自分で書けない人のお話を聞き、それを自分史や絵本にする仕事をしています。絵が好きな私の夫が、挿絵を描く手伝いをしてくれています。
これは、私の10年越しの夢が、形になったものです。老人ホームで相談員の仕事をしていた時にふと思いました。相手の話を没頭して聞く時、共感する気持ちが生まれます。それを文章にして返し、さらに話が深まり、引き出され、整理され、一緒に作り上げていく。それが、自分の夢だと気付いたのです。
それから、行動を始めました。時にはお願いをして、本作りをさせてもらいました。なかなか仕事にする勇気がなく、下積みが長くなったのですが、後押しして下さるお力もあり、ようやく2年前、「京都の聞き書き絵本やさん」を個人で立ち上げました。
夢ってなんでしょう。みなさんは「夢をあきらめずに」とか、言われたことはないでしょうか。私が学生の頃は、アイドルみたいな容姿や、かっこいい彼氏、ステイタスのある会社とかに憧れつつも、それは何か違うと、もんもんとしていたように思います。
私は、「夢」というのは、神さまが与えて下さった役割かな、と思います。私たちは、つい小さなことで、「これは、神様のお導きだ」とか考えてしまいます。でも私は、本当の神様のご計画は、そんなちっぽけではなく、人間には想像できないほど、大きなものだと思うのです。
この学校の、クリスマスページェントの最初に、旧約聖書のイザヤが登場します。預言者であるイザヤは、神様から「キリストが生まれる」という偉大な言葉を授かりました。しかしそれが実現したのは、イザヤが死んで、はるかあとでした。つまり、イザヤ自身は、預言がほんとうかうそか、分からないまま死んだのです。このように、神さまのご計画は、スケールが大きいのです。その中で、小さな一人ひとりに、役割を与えてくださっていると思うのです。
私の歩みを振り返ると、人生の大切な分かれ道で、「なんとなく」とか、「しかたなく」道を選んだことも少なくありませんでした。でも不思議なことに、私の夢は、失敗や、無駄だと思っていたことが原点になっているのです。
小さい頃から、私は声が小さく、しかも音程が低いので、歌が苦痛でした。人前で話すのも苦手で、クラスで目立つ人をうらやましく思っていました。でもあるとき、気付きました。先に、「すみません、私、声が小さいので、静かに聞いて下さい」と言えば、誰でも静かにしてくれるのです。会話も、静かな場所で二人だけならば、大きな声などいりません。そうやって、じっくり人の話を聞くことが好きになりました。
同志社大学文学部への進学も、積極的とは言えなかったのですが、しかしそこでも、大切なことを得ました。文化史学の教授は、見かけは地味な「おじさま」なのに、研究モードになると、目を輝かせ、メルヘンの世界に羽ばたくように、歴史の世界に飛び込んで行かれるのです。その豊かな想像力に圧倒され、それがきっかけで、私も人の話の世界に没頭できるようになりました。
また、こんなこともありました。「私の母の絵本を作ってください」という、電話がありました。尊敬する、元上司の看護士さんでした。「一緒に仕事をしていた頃、朝一番に、体調の悪いお年寄りのことを、確認に来てくれたのは、古橋さんだけだった。だから、信頼できると思った」と言われ、「そうだったかな..」と思いつつ、「あのころ、手抜きしないで、よかったな~!」と、昔の自分に感謝しました。
他にも、「あの時のあのおかげ」と思うことが、たくさんあり、今は、悩んでいた時間も含めてすべてが、必要だったのだと思っています。
夢なんて、簡単には見つからないでしょう。偉そうに言っている私だって、思い違いかもしれません。でも、方向だけは探していてください。そちらを向いていれば、きっと花が咲く時がくるはず、そう信じ祈るしかないと思います。
最後に、クイズの答えを言います。答えは、「菊」です。「同志社花の歌」の歌詞、1番「すみれと咲かん」 2番「百合と匂わん」 3番「菊とかおらん」 4番「梅と開かん」...。みなさんの心に蒔かれた種が芽を出し育つよう、先生方は暖かく見守って下さっています。素敵な花を咲かせて下さい。
お祈りいたします。
在天の父なる神様。今日、懐かしいこの場で、未来ある姉妹たちと共に、礼拝を守れることを感謝いたします。あなたの言葉「焦って神の前に言葉を出そうとするな。言葉数を少なくせよ。」というメッセージは、圧倒的な神様の存在を思い出して自分をリセットするために、私が常に立ち返る言葉です。神様にゆだねつつ、歩みたいです。守り導いて下さい。
この小さき祈り、主イエスキリストの御名によっておささげいたします。アーメン。